あたまわる子の本棚

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血の収穫

血の収穫  ダシール・ハメット  能島武文訳 グーテンベルク21


たった一人が殺されても
数百、あるいは数千ページ費やす小説があるというのに
片手どころか両手、さらにもう片手さらに・・・・
というくらい死ぬ死ぬ、というか殺される殺される
どんどん殺し殺されまくる
いわゆる殺し合いってやつが描かれているので
まぁバイオレンス小説といえなくもないのだけれど


なんというか、からりとしているのは
一人称で語られる主人公の心に柔らかい部分、ウェットなところが
皆無であるからで
これはやっぱり、バイオレンス小説というよりも
ハードボイルド小説といいたい。
そう、本作はハードボイルドなるものがしかと確立された
記念すべき傑作、名作である。


私は本作の笑うべきところでない部分で
何度か声を上げて笑ってしまった。
殺されること殺すことに対して
あまりにも「日常的」な「ごく普通の」乾いた感覚で
語られるそのことに、
もはや悲劇よりも喜劇に思えてしまったからだろう。


しかしだ。
そこまで殺しが重なって、私が声を上げて笑い始めてまもなく
数ページ進んだあたりで、物語の色に変化が起きた。


人が死ぬことに対して平気ではあった主人公が
「楽しささえ覚えた」ことに対して
自らに困惑し、腹を立ててしまうのだ。
それまで非情と利己を平然と見せてきた主人公の
「人でなし」に落ちることへの嫌悪は
本作をただのエンターテイメント小説ではないと気づかせてくれる。


そしてそのように主人公が激しく語った後に落ちる罠。
いやぁ、まったく良くぞこれを考え付いた。
後々山ほどの小説や映画に
この手法がどれほど使われてきたことか。


そして罠に落とされたからこそ、主人公の強さと非情さが
またぐっと強く立ち上がってくるのも見事だった。


本作はその昔、安い大衆雑誌(パルプ・マガジン)に登場したそうだが
いや、まったく、どういう場所から歴史的な名作が出てくるか
わかったものじゃない。


血の収穫

血の収穫


1960年新潮文庫の翻訳が使われているので
主人公は「俺」ではなくて「私」が使われている。
でも、むしろ慇懃無礼で好きだった。

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